米騒動とは。発生理由や原因をわかりやすく解説。富山米騒動発祥の地についても

2018年は米騒動100年の節目の年なんです。

でも、「米騒動」ってなんだっけ。
日本史で習ったような習わなかったような(習ってますよ!)

地元民が発生理由や原因をわかりやすく解説しますよ~。

富山県魚津市の米騒動発祥の地にも行ってきました!

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米騒動とは。発生理由や原因をわかりやすく解説

年号 大正7年 1918年7月23日
発端となった場所 富山県魚津市新下漁師町(今の諏訪町)

米騒動の発生原因や理由

原因1 米の生産が減ったのに、消費は拡大した。
第一次世界大戦に勝った日本。農家をやめて工場ではたらく人が増えた
農家でも、米以外を食べる家庭より米を主食にする家庭が増えた。

原因2 政府が米を買い占めて、商人も便乗したので値段が高くなった
シベリア出兵のために政府が米を買い占め始めた。
商人が便乗し、高く政府に売るために民間人の買えないような高値に設定した。

原因3 新聞(メディア)の煽り立て
新聞が、政府は何をしているんだと書き立てたため、不安が大きくなった。
寺内内閣が言語統制や軍隊を用いた鎮圧をしたので、騒ぎがどんどん拡大した。

結果
米は手に入らない。不安が爆発。=米を船に荷積みさせないよう阻止(米騒動)

 

息子
おれ、パンとかうどんでいいよ

確かに。1993年の平成米騒動の時はタイ米やパンなどでしのいだ記憶もありますね。

原因4 大正時代の主食は米という常識だったから
食品が今よりも充実していなかったので、米が主食・栄養の高いものとしての認識が常識。
違う食品で補うことができなかったわけです。

原因5 エンゲル係数が高かった。
現代ではエンゲル係数(収入の中で食費が占める割合)は2割位が適正値です。
しかし、大正時代は食うのに精一杯の時代だったので、エンゲル係数は6割位だったそう。
それは死活問題です 😯

米騒動とは

富山県魚津市の漁村を発端とし、主婦が米の買い占めに抗議し、船への荷積みを阻止しようとしたことを発端に、全国に広がった一連の騒動。
寺内内閣が退陣に追い込まれ、「平民宰相」と言われた原内閣の誕生のきっかけになった事件

 

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富山県魚津市の米騒動発祥の地はどんなとこ?

富山県魚津市の海沿い道路横にモニュメントと十二銀行魚津支店があります。

モニュメントは公園の中にあります。

2018年は米騒動100年なので、のぼり旗が立っていますが去年は見落とすくらい地味でした。

十二銀行魚津支店跡は説明文がありますが、中は通常一般公開されていません。


というのも、魚津水産が現役の倉庫として使っているから。
中も、なんてことのない漁網置き場です。

どうしても見学したい方は、魚津市教育委員会に申請が必要です。

魚津の米騒動の中心人物は漁村の主婦!主婦たちが米を荷積みさせないように詰め寄ったということです。
でも、暴力に訴えず、話し合いで解決したらしい。
は強いね。
米騒動自体も、政府の介入や国民の収入の拡大により自然と収束し終わりになっていきました。

こちらは富山の地焼酎「米騒動」です。

出典:北陸発酵工業株式会社

 

魚津市では女性の起業家団体の名前が※SOUDOU(こめそうどう)だったりと、かなり米騒動はメジャーのご様子。

 

まとめ

発生から100年。発生理由や原因はいろいろな事が重なっていたんですね。

平成の米騒動も記憶に新しいですが、新たな米騒動が発生せず、平和に生活できることを祈るばかりです。

富山県魚津市の米騒動発祥の地は、正直みどころという印象ではありません。(魚津市さんゴメンナサイ)
ただの木造倉庫(しかも入れない)と公園にある米俵の飾りなので、、、。

いかに価値付けして楽しむかは旅行者の腕の見せどころだと思います。

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